2019/03/03

 映画『We Mergiela』を観て来た。メゾン・マルタン・マルジェラを築いた人々をめぐるドキュメンタリー。メゾンを象徴する白いスクリーンに、2017年に逝去したジェニー・メイレンスの声が響く。例の番号だけを記したタグを考案したのは彼女であること、とにかく境界を越境したかったこと、クリエイションに没頭するマルタンに代わりビジネスを取り仕切るのは孤独であったこと、そして58歳になり心身ともに限界を迎えたことetc。

貴重な証言だ。

 

 

そういえばマルジェラ期のエルメス回顧展を開催した際、その理由を問われてマルタンは「記憶が失われてしまったから」と答えている。

 

 

失われまいと響いた声を聞く。会社は何度か破産寸前だったという。裕福だった雰囲気は作中の写真にもない。マルタン本人が職場に掃除機をかけていたそうだ。宗派(セクト)、と綽名されるほどの意思と思想の統一性がチームを支配していた。皆、だれも給与や名誉なんて気にしなかったよ、とまるで創造性について語る際の紋切りのような証言も飛び出すが、口ほどにそれを貫徹するのは容易ではない。

 

だからこそ、皆疲弊してしまったのだろう。メイレンスが去った。二年後、マルタンも去った。メゾンを象徴していた、非-画一的な女性美、自身なき女性たちに肯定感をあたえる、そんな思想の表現は鳴りを潜めて代わりに有名モデルが起用されるようになる。マルタンは頻りにバックステージから姿を消したそうだ。

かつて共に働いたニットウェア・デザイナーの同僚とレストランで久方ぶりに会話したとき、マルタンはこう問いかけたそうだ。「きみはこの業界で歳を取りたいと思うの?」

 

 

仕事は、ファッションという世界は、彼を幸福にはしなかった。カール・ラガーフェルドがおのれを終に「傭兵」と自称しつづけた所以。

 

 

話し疲れた、と呟くジェニー・メイレンスの沈黙で映画はしずかに幕を閉じる。そのまま彼女がしずかに息を引き取っても不思議ではない、幕の引き方。映画館に行く前にLaila Tokioで、マルタンのアーティザナルを見る機会があった。Burberryの古着にシルバーのペイントが施されていた。映画のなかで、ガラクタにもう一度生命を吹き込む天才、とそのようにもマルタンは語られる。フリーマーケットから購入された幾多の服の山の映像。そのなかから選りすぐられ、ふたたび生命を吹き込まれたそれは、ものすごい強度で存在している。それは地理を越えて、時間を越えて、いまも誰かに愛されるのを待望しつつ、ハンガーに掛かっていた。