2019/02/24

 去年9月末日を締切として設定し、ぼくとほか友人ふたりで映画「リズと青い鳥」の二次創作をすることに決まり、無事提出を終えた。および長らく着手しては離れてを繰り返して今年2月の初頭に推敲を終えた拙作「東京」についての蛇足をすこしばかり書き加えておきたい。

 

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10187381

 

 

 ◆東京

 原作が舞台とする京都であってはならなかった。ほかのどの都市でもなく「東京」であるのはこの都市が人間を、その憧憬や疲弊ごと呑み込みながら生成する薄汚れた魔都でもあるからだ。東京こそは過去から希美に相応しい。音楽雑誌の出版社で働き、一方では専属のライターとして筆名へと自己を分裂させていることこそが、彼女をいっそう東京に相応しくする。傘木希美が「傘木希美」を自己消去へと誘う土地。蛮天丸さんはこのことに気付いて、ぼくの自覚よりも早くにそのことを指摘してくれた。

 

 

 ◆鎧塚みぞれ

 書いていてもっとも難解だった人物。うち明けるなら、彼女を魅力的に描写できたとは今以て思えない。結果的に言えば彼女の捉えどころのなさは、そのまま希美の中で歪曲されたオブセッションの対象としての機能を果たした。音楽をとおしてその心情が手に取るように分かる、と断じる一方で最後には何もかも見透かされている気がする、とふいに怯える、この振幅は今後より意識的に用いたい(語りの分裂)。

 一方、自分から遠い距離にあるからこそ、どうしようもなく惹かれる、それもオブセッションの構造だ。夏紀との対比でそれを示したつもりでいる。終盤の文章の由来もそこにある。傘木希美は射手座なのだ。

 

 

 ◆音楽

 不条理にして暴力的。ひとを奉仕に導き、ひとを棄てる、愛と似て非なるもの。傘木希美と鎧塚みぞれの媒介。

 

 

 ◆原作にない登場人物

 全て文学関係から採用した。「丸谷」才一、柴崎「友香」、松浦「理恵子」etc。命名法はともかくとして北宇治を辞めた彼女たちは原作には描写こそないものの確かに存在した人物だ。夏紀やみぞれと同等のリアリティある存在として。もういなくなった彼女たちと過ごした苦しい時間が、傘木希美を形成している筈だった。その時間を掬いとることが本作の目指すものの一つだった。

 なお、東京にて希美と一緒に酒を飲んでいるポニーテールの新入社員については何故希美と仲がよいのか、どんな人物なのか(ディテールが不足している)等々の疑念を呈して頂いたことがあり、推敲後でも応えは不充分だったと反省している(たとえば希美のあり得たかも知れない似姿として描写するということ。鏡像のヴァリエーションとして)。

 

 

 ◆飲酒

 描写していてたのしかった。希美はこっそり十九歳で飲んでいる。酩酊し、記憶を誇張させる装置としての機能も兼ねる。酒量が異常な人間はその体型や嗜好に由来するのでなければ何かしら異様なものを抱え込んでいる、と見てもよいだろう。それを一時的に解消する為の代償および自傷行為として本作の希美は自身を焼いている。

 

 

 ◆中川夏紀

 村上春樹風の歌を聴け」の「僕」と「鼠」の関係から着想して希美の相方のように登場させた。原作でもふたりは親しい。彼女たちが共に飲酒したり、海に行く場面は本作のなかで一抹の慰めのように機能してくれたように思う。ぼく自身にとっても。なお、夏紀に関しては前作の二次創作「音楽は、」の続編にて大々的に扱う予定だったが結局書くことはなくなり宙に浮いたままの着想を流用したので、ここで弔うことができてよかったと思う。

 鎧塚みぞれと対となる存在として描写している。

 

 

 ◆傘木希美

 映画「リズと青い鳥」を観て、ようやくぼくは人間としてのきみを見たように思う。それ以前のきみはただの機能だった。物語を駆動するソウルに欠けたトラブルメイカーにすぎなかった。明るく快活な笑顔の隙間に覗く嫉妬やエゴ、見栄がきみを人間として美しくしていた。そうしてこの物語を構造した。

 きみとのぞみとの関係には懊悩した。かつてフローベールの言った「ボヴァリー夫人は私である」に倣い、我が事のように三万字余のきみを生きながら、決して愛してはいないのに、一方で彼女に特別な笑顔を向け、また彼女にとっての特別であることに拘るのか、それが腑に落ちるまで苦しんだ。回想という形で幾度も挿入したみぞれとの逸話はぼく自身が納得する為に必要な尺度でもあった。そうして音楽への敬愛と、遠き他者への憧憬を見出した。

 酷い飲酒については「あれは傘木希美らしくない」と言われたりもした。きみにも迷惑だったろう。でもぼくはこうも考える。かつて頻りに語られた訓話のように、神の愛は試練として表現されるのではないだろうか、と。ぼくはきみを愛している。わが身のように。故に夏紀でものぞみでもなく、きみが地獄のような呵責を味わった。そうして時間をかけて過去と折り合いをつけ、前に進む決意をする、そのような苦渋に充ち幾らかの感傷に彩られた物語を生きることが出来るのは、きみを措いてほかにいない。これはぼくなりにきみへと捧げる祝福だ、と言うのは些か口がすべり過ぎだろうか。

 

 「リズと青い鳥」という檻に囲まれた物語があり、そこから「東京」というひとつの逃避と懐古の物語を書いた。けれどもそれはきみたちの人生のほんの一部に過ぎない。「音の隙間に、誰かが扉を開ける音がした。」最後の一文のあとにも、きみの時間は存在する。描写をすればする程、際立つのは描写されない時間なのかもしれない。きみはみぞれと再会するだろう。どんな表情でどんな会話を交わすのか、ぼくが見聞きすることはないけれど、きみたちには、ぼくが想像もしなかったような幸せな時間が訪れて欲しいと願っている。

 ユーフォニアムシリーズに限らず、もうぼくが二次創作を手がけることはないだろう。だからここでお別れだ。希美たちとも。登場人物に礼を言うなんて奇妙だけれども、ありがとう。

 

 

 じゃあな。