2018/12/31

 2018年が終わろうとしている。体感的に倍の時間が流れたように錯覚するのは、きっと長きに渡る様々な地獄めいた状況がひとつの区切りを迎えたからだろう。生活がいよいよ不可能になる恐怖、じぶんの描いたご都合主義な妄想が現実のまえに敢えなく崩れる瞬間。それらを潜り抜けて、飛躍的にぼくという人間が成長したわけでもない、ただ酷く転んで怪我をした子供が、悪路でほんの少し全力疾走を躊躇する程度の慎重さを身につけただけだ。そして他人はそうした慎重さを本来的に備えているか、そもそもそうした慎重さを必要とするほどひとは無謀ではない。

 

 去ったひとについて詩を書いた。彼女にそのことは知り得ないが、ともかくそれがぼくなりの、戻らない時間に対する可能なかぎりの弔辞だった。

 

 そういえば4月には投稿した詩がユリイカの佳作となった。

 

 夏からは頻りに酒を飲んだ。綾瀬に入り浸って、以前から嗜んでいた喫煙も本格的になって、そのように生きる苦痛を別の甘美な苦痛でやわらげる方法を知った。それについて友人の春日さんの助けに因るところが大きい。彼との会話のなかで、ぼくは嗜好品のほかにも幾つものことを学んだ。どうもありがとう。

 

 10月には春に公開された映画「リズと青い鳥」の二次創作を、東方創想話時代からの友人ふたりと締切を決めて書き、どうにか投稿することが出来た。現在pixivに挙がっているのは初稿で、結局年をまたいで推敲する羽目に陥ったが。

 

 

 状況や情に流されて随分と締まりのない1年となったが、2019年はどうか再生と呼ぶにふさわしい年となりますよう。そのためにはぼく自身が、自分を甘やかさず、努力しなければならない。この世界のひとりの生き物として、この生を呪いつつ、それでも愉しいこと、ありがたいことなどがあり、いつしか当然のような顔でこの世界に居座ってしまったけれど、もう一度惰性により沁みつきつつある嘘の自明を削ぎ落して、言葉を産みつづけてゆきたい。でも安寧でありますように。ぼく以上に、あなたたちの生が。

 

 恒例の10冊。

 

◆詩とは何か(新潮選書)

◆アデュー ーエマニュエル・レヴィナスへー

◆続・北村太郎詩集

◆パリ日記

◆うまやはし日記

◆記憶のエチカー戦争・哲学・アウシュヴィッツ

百年の孤独

◆収容所のプルースト

国境の南、太陽の西

◆葛原妙子歌集

 

 

 ではまた。