2018/10/12

 9月末日を締切として設定し、ぼくとほか友人ふたりで映画「リズと青い鳥」の二次創作をすることに決まり、先日無事提出を終えた。ここではその感想を改めて書いておく。まずは早瀬凛「美しく燃える蒼」。

 

 https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10187384

 

 ふたたび読み返して、その旋律の純粋さにおどろいた。音楽の話であり、かつきみの文章の話だ。

「美しく燃える蒼」が或る曲のもじりであることはかねてよりきみから聞いていたけれど、にも拘わらず、この物語にこれ以上の表題はないと思える。蒼――それはきみが頻りに書こうと欲している「青春」、この物語の語り手、鎧塚みぞれの「青春」、或いは傘木希美が諦念と共に別れを告げた「青春」のことだ。

 

 それにしても、変わらないで欲しいと願いつつ、その終わりを予感しているみぞれの純粋な語りのなかで、最愛のひとである希美は中盤、殆ど異物のように作用している。それは南中みんなで演奏したいと誰よりも努力を傾ける優子、一歩引いたところで他の三人を見守り、「このままでいいんじゃない?」とみぞれに「持続」を諭す夏紀とも異なり、みぞれに嫉妬や羨望を露悪的にうちあけつつ、またおのれに苦悩している。映画の中で、一度は引き受けたリズの役を重荷に感じている彼女。けれども一方で、簡単にリズの役割を引き受けて万能の善人として振る舞えないと零すからこそ、山田尚子が一度は強引に「joit」させた関係をふたたび問いに伏しているのも確かだ。

「みぞれは変わったよ」

 その言葉に翻弄されつつも周囲に後押しされて、揺らぎつつも希美を信じると決心しているみぞれ。あなたがわたしの全部であると、どんな残酷な言葉や事実を突きつけられようと貫こうとするみぞれの、夾雑物のない、けれども言葉を覚えて間もない幼子のような口語には、まだ事態を客観化できない、事の内部をただひたむきに生きているひとのリアリティが宿っている。青春とはそういうものではないだろうか。カタログのように記号を組み合わせるのではなく。しかもそれは、確実に予感された終わりへ向けて、いっそうの輝きを増す。どこまでも等身大の語彙。

 

 コンクール終了後、「わたしがいなくても大丈夫だったじゃん」etcと、みぞれの変化について言及しながら、誰よりもその変化を、悲しみとして噛み締めているのは、希美だと知る。「美しく終わりたい」と語る彼女は、そんなふうに「終わり」を仮構しなければならない自分の無力に忸怩たる思いを抱えつつ、あくまで気丈に振る舞おうとする。それも感情を剥きだして希美への愛を語るみぞれとは対照的だ。けれども、みぞれもまた、「半分うそで半分ほんと」と、希美のやさしさに言及するとき、既に物事の表裏や綾に勘付きつつあって、夢の終わりが予感される。

 この物語で、優子、夏紀、希美の三人の口から殆ど共通して語られるのは、みぞれの「変化」であり、「成長」だ。誰よりもそれを望まない人物が最善を尽くすが故に、最愛のひととの距離を拡げてしまう。そんな悲しい構造のなかに、それでいてふわふわ夢うつつの語りのなかに、美しく燃える蒼の終わりは託されていた。

 

 ふたりの未来を願っていた。ひとりはきみのこころのなかに残っていられたらいいな、と背を向け去る。そのとき青春も去った。みぞれにとっての「全部」であったひとは消えて、けれども明日はやってくる。

 ここで物語が終わることは正しい。なぜなら青春そのものみたいなみぞれの意識も破れて、きっとこの先は回顧の語り――非-青春の語りにならざるを得ないだろうから。

 

 だが願わくば消えてゆく青春の記録であるこの物語が、きみにとっての「再生」であらんことを。どうか書きつづけてくれ。

リズと青い鳥」を題材に、蛮天丸さん、ぼくときみの三人で同期的に二次創作を行うこのささやかな試みを、終わりの象徴や過去の記念とするには、ぼくらはまだ若いのだから。ぼくらのあいだでも最も先鋭に世界を憎悪していた、そうして誰よりも優しかった、きみの蒼い火がまだ尽きていないと、ぼくは信じている。