2018/09/25

 9月22日。

 愛知県へと向かった。Mに約六年ぶりに会う為に。その心情も光景もかつての偶の空想とは似ても似つかなかった。現実が夢や空想に似ないことには慣れている。その大抵は手酷い。それでも生きていられるのは際の際で他者の気遣いや親切に辛うじて支えられているからだろう。

 そうして僕は酷い恩知らずだ。

 

 記憶は充分に記憶と化していないし詳述しない。

 言葉少なに白山公園をそぞろ歩きながら、公園と街路を隔てる木々が夕陽に燃やされていた光景と、その前に美術館で観たゴッホの、あの旋回する白い太陽とが既に記憶の中で混同されてひとつの錯誤が出来上がりつつあった。僕が色について月並みな感想を言うとMは色盲気味の友人の話をして、会話って難しいですよね、と結んだ。

 

 終電を逃したので(あまり帰りたくなかったから)、ネカフェに宿泊した。早朝、錯乱したような女に執拗に呼び掛けられたが無視して歩き、駅の周りを犬のように彷徨した。街路は広く隠れるところのない街だとおもった。犬が嫌いという話も、そういえば公園を歩いているときMに喋った。

 

 在来線で静岡を経由して東京へ帰った。

 弁天島で、車窓からホテルの建物が見えたから、温泉にでも入れるだろうと立ち寄って間近で見るとすべて廃業して海沿いに建っている多くが廃墟だった。ひとは誰かと車や自転車で来て、海釣りやサイクリングに興じていた。竿掛けが一定の間隔で浜辺に刺さっている。それを墓標などと形容できない。気温は夏みたいだったが秋の光は淡く空と海を白昼夢のように煌めかせていた。女子高生が主役の低予算の邦画が好みそうな風景。そんな映画も最近観た。

 

 熱海にも立ち寄ったあと、黒々とした東海道線の車窓を眺めながら、前日を受け入れるには帰路の半日という時間が必要だったと感じた。前日には、うつくしい時間もそうでないものもあった。彼女は猶更だっただろう。飲み過ぎて、嘔吐して(或いはただ悲しくなって)目を赤くして出て来たあと、大丈夫、と足早に僕と共に歩こうとする彼女を家に帰した一瞬だけ、僕はまともで正常な言葉を発したような気がする。(ほかは大抵焦点が合っていなかった。そんな言葉しか吐けない。)

 

 後日、夾雑物が洗い落とされて、美しい風景と彼女の優しさだけが残って欲しいと思う。それまではすべてを受け入れる。それは去年の夏、北国の教会で異国の神さまの前で祈ったときの恩恵だ。祈りとはただ己の不如意を受容すること。ほかに意味はない。どこにも届かないし、他者に到達しない。

 

 愛知を去る前にMに貰った香水の匂いを嗅ぎながら、世界を燃やしても自分が残る、と友人がむかし発していた言葉を思い出していた。