2018/07/07

 

 三日前の夕方から病で臥せっていた。

 風の流れない台所で半日冷蔵庫にしまい忘れた牛乳を、異臭がしないから、と飲んだのが、いわば食あたりが直接の原因だ。そこに衰弱からか風邪もひいた。しきりに腹痛に襲われ、茶色い水分をないのに絞り出し、頭痛と高熱に耐えるというのは、孤独でしんどい行だと言わねばならない。もっとも、はじめの二日間はほとんど昏倒していたので、意識のあった時間もずっと短い。

 病のいちばんの峠は二日前の晩で、夏日で窓を閉め切り、もちろん冷房もつけてないのに分厚い布団に包まったまま、腰からせり上がる悪寒でがたがた震えが止まらなくなったときはほんとうにつらかった。治りつつあるいまとなっては自分でも大げさに思うが、当時はこのまま死ぬという想像まで頭をよぎった。余談だがぼくは夏でも冬の布団を出したままの人間だ。健康なときならば、冷房の効いた部屋で厚い布団に包まるのが好きなのだ。

 死ぬかもしれない、という時分に、その気持ちを行分けで詩の風に構想した。高い場所から落下して間一髪で助かる夢から目覚めた翌朝に即興で、そのときを思い起こしながら詩を作ったが、ここに掲載するような出来ではない。

 

 それはそうとひとは病で死にうる、というのは当然といえば当然だけど、実際に身に迫られると感慨深いものがある。刹那的な生き方というのは若く、無意識にでも将来の貯金をアテにできるからこそ可能な所業だというのが、おぼろげながら分かってくる。

 死を前に悟りが開けた訳ではない。

 ただ、じぶんが巻き込まれ、どうやら当分逃れることの出来そうにない社会との折り合い方、一方でじぶんより長生きしている人々がいかに社会と折り合って来たかを知ること、そしてより有限性を自覚したうえでの詩や小説との向き合い方を慎重に再考するひつようはあるだろうとおもう。こと社会に関しては内心だけの敵視をしているだけでは、もはや身体精神の両面においてすり潰されるのは時間の問題みたいだ。

 

 生きていると様々な邪念が付着するので、いま澄んだ気持ちでいても生活に追い詰められるうちに余裕がなくなり奇妙なこだわりや情念の偏向がいずれ生じてしまうのは残念だが、なるべく正気を保ったまま、この生を終わりへと持ってゆけたらいい。それにしても病死はそれだけなら非常に魅力的だったが。

 

 病床では村上春樹のインタビュー集を読んでいた。話は地下鉄サリン事件を取材した『アフターダーク』に幾度も及び、当然ながら麻原彰晃の名も頻りに登場した。阪神淡路大震災と並び、旧来の秩序の崩壊を象徴する地下鉄サリン事件、そのグルとして。

 その麻原が死んだ。

 7月6日に、リークによる事実上の事前予告という前代未聞の仕方で、彼をはじめ7名の事件首謀者がいっせいに絞首刑に処せられた。

 

 その日、その翌日と、西側一帯がかつてない雨と洪水に見舞われた、平成最後の夏。

ぼくはようやく微温いポカリスウェットやお粥以外のものを、口にできるまでに回復した。(そういえば今日は七夕だ。いま気づいた)