2018/08/26

 北千住のオーセンティックバー・Peaceは古着屋・髭の隣、或いはささやの向かいにある、と言えばわかりやすいだろうか。あまりひとで賑わっても静かに飲みたい人間としては困るのだけど一方で多くのひとに行って繁盛して欲しいので書く。カクテルは美味しいし、ウィスキー、ブランデーは50年前のもの、ボトラーズなども取り揃えていて至福の時間を味わえる。そういうこだわりの強い店で、マスターの人柄が肩肘はらないのがこの店を魅力的にしている。

 音楽もよい。クラシックやジャズが流れる。有線ではない、いずれもマスターがCDを選んでかけてくれる。ぼくはここでキース・ジャレットに出会った。

 

 昨晩飲んだもの。サイドカー、ロングモーン41年、ポート・アスケイグ・ハーバー(カリラ)19年、マティーニ

 

 昨晩いっしょに飲んだ相手は生年月日が一日ちがいのひとだった。ぼくはいて座性が前面に出ていると自認しているけれど彼にはおうし座の影響を強く感じた。ひとは星の影響だけで生きているわけではないが、いずれにせよドッペルゲンガーが現れなくてよかった。こんな時、友情にせよ愛情にせよ、それが生じるのは他者の他者性から出発するのだと再認識させられる。

 

 強烈な思慕が距離を殺戮したいと願うとき、おそらく最も距離を意識している。

2018/08/19

 8月18日の土曜日に蛮天丸さんと綾瀬の大松で開店前から並んで飲んだ。ぼくがどうしてもアブラ味噌とタン塩を食べたかった所為だ。大松のボールともつ焼きの味噌はさながら補色のように絶妙な関係を保っているが、中でも開店直後にしか注文できないアブラ味噌は一度食べておきたかった。これはとても美味しかった。

 注文はアブラ味噌、ガツ刺し両方、タン塩、カシラ味噌。互いにボールを三杯ずつ。煙草を美味そうに吸うね、と言われる。美味いよ、と答えた。

 

 「それでも私は雪を見る」について。蛮天丸さん曰く、あの小説の白眉である「ぼく」と菊池さんが雪の中で手を繋ぐシーンには下敷きがあるとのこと。中学受験の国語の問題に出たそうだ。そしてその小説は、手を繋いで終わる。設問は、「この小説の続きをあなたが書きなさい」。

 当時彼は去った女の子を追って電車に乗り込む展開を書いたそうだ。でも後に考えると小学五年生で電車を使うのは不自然だと思ったという。だから、改めてその設問へのアンサーとして、後の場面を書いたのだという。

 飲みつかれたあとカフェ・ベローチェで歓談して、最後は北千住でもっとも素晴らしいBarのひとつ「Peace」で素晴らしい酒を飲む。値段も意想外だったが蛮天丸さんが立て替えてくれた。あの体験には代えられない、とかれは言った。会計は二万九千円だったので、ぼくが後日払う分は一万四千五百円だ。面目ないが本当にいま経済的に盤石からは程遠い。贅沢を心得てはいるが実際は貧しいのだ。台所はずっと燃えている。

 

 思えば8月はよく綾瀬で飲んだ。

 春日さんと、木曜日と金曜日に飲み、土日を挟んで月曜日にまた飲む、なんてことをやった週もあった。とにかく大松の味噌とボールは一度口にしたら愛おしくてたまらなくなる。煙草並みの依存症がある。串揚げのこたにのこたにサワーも悪くない。ここは何と言っても安い。サワーが100円だ。しかもジョッキで来る。缶ジュースより安い。春日さんには感謝している。

 

 ベランダで煙草を吸っていると秋の気配があった。

 また季節が過ぎ去る。何の手応えもないまま歳を取ってゆく。人生は花火のように勢いよく爆散するには少し長いが、やはり、やはり、短い。小説や詩の傑作を書き上げられるだろうか。そうして愛するひと達と長く一緒に過ごしたい。でもやはりたまには酒を飲みたい。貧しくして死んでゆくのかもしれない、ぼくらは。何も分からない。「平成最後」とか謳われる、暑かっただけの平凡な夏が間もなく過ぎ去ろうとしている。

 

 こんなはずじゃなかった、という言葉はまだ口にしない。

2018/08/12

 

 

 

蛮天丸 「それでも私は雪を見る」

( https://ncode.syosetu.com/n9802ew/ )

という小説を読んだ。URLは「小説家になろう」のサイトへのリンクとなっている。

 

 

 以下は私信。

 

 

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 ふいにきみがオリジナル小説を書き上げたというのでおどろいた。でも、それ以上におどろいたのは、この小説全体を貫いているきみの誠実さだった。倫理の規範とかいうのではなくって、たとえば文体がそうだ。ここに文体はあるし、でも文体、という言葉から連想する個性的であろうとするポーズのようなものがない。もちろんこの小説が、どんな先行作品の影響の上に成立しているか、ぼくは個人的にもきみを知っているので、そうして小説中にもそのオマージュは重要なモチーフになっているから、それはひしひしと伝わるんだけど。

文体における誠実さとは、物語にどこまでも忠実であろうとする文章の姿勢だ。「ぼく」こと高山の回想する、菊池との思い出にぴったりとしたトーン。まわりの音を消しながら降る雪のイメージ。文体と物語が一体となって些かも夾雑物がない。そういう誠実さに打たれた。

 

 それは菊池まどかと「ぼく」を繋ぐ一冊のテキストに通底しているのかもしれない。「ぼく」は、どうして菊池がこんな絵本のような本を読むのだろうと首を傾げる。もし菊池が大人ぶって難解な文学を読んでいたら、菊池とのささやかな出会いは存在しなかったかもしれない。平易で、それでいてどこまでも人の心に沁みとおる物語。画家が絵のなかに自身のすがたを書き入れるように、それはきみの小説に対する姿勢を刻んだもののように、ぼくには思えた。もちろん、菊池はどうやら本当にその「かえるくん」が好きらしい、というのはぼくが後に察するところで、だから菊池は質問攻めに遭って淡々と答える顔ではなく、好きなものを好きなだけ語り倒す顔を「ぼく」の前にだけ見せてくれる。

 これはぼく個人の記憶とも響き合っていて、明かすのは恥ずかしいのだけど、あの場面にはそういう秘密を共有する甘い瞬間を呼び覚ましてくれる力があった。いずれにせよ一冊のテキストが、ほとんど断絶した者同士の間を繋いでくれる。菊池と「ぼく」。それはあくまで「それ自体」なのだけど、作者と読者、或いは読み手と、読み手の奥底にふだんは沈み込んでいるむかしの夢や記憶の間柄の比喩のようにも読んでしまうことができる。

 最近、ネット記事で読んだラッパーのケンドリック・ラマ―の発言がずっと印象に残っている。「俺たちがやっていることは、9時〜17時のシフトにうんざりしながらも、毎朝渋々仕事に出かけていくヤツらのためにあるんだ。」

 そう、満員電車で揺られて出勤する大人(ぼくもその一人だ)にも、何某かの子ども時代は存在する。甘く、そして苦いものに変わってしまった夢のような時間を誰しも過ごし、或いは夢を見たことはあるだろう。

ぼくは、きみの物語を読みながら、ひとつひとつの場面が、そんなふうに奥底に沈んだ、あの夢のような様々な時間と反響し合うのを感じた。繰り返しになるけどそれを可能にしたのは、この小説に横たわる一途な誠実さなんだ。そしてだからこそ菊池とのすれ違いは痛ましいし、その別れる前日の場面の繊細さ、優しさは、ずっと心に残り続けるものになる。

 

この小説はそれにまた純粋に子どもの目で見た世界ではない。あくまで、かつて子どもの目を持っていた大人の回想だ。もう取り戻せない、それでいて生きる年月を重ねるたびに、その重さをひしひしと増すのを感じている、一人の人間の回想。「ぼくは綺麗な夢を見続ける、小さな大人になってしまった。」

 事の重大さ、というのはその瞬間以上に、過ぎ去ったあとに来る。「ぼくのせいなんだ。ぼくは菊池を離しちゃいけなかった」と心の中で叫ぶとき、もう彼女はいない。ただ彼女の言葉だけが残っている。そうして、短い時間のあいだに垣間見えていたはずの菊池のほんとうの内心の一端は絵本のしおりの書き置きを通じて語られる。

 そんなふうに、ひとは常に他者を取りこぼし続けるのだろうか。

 すこしだけ「ぼく」よりも大人だった菊池。その大人の世界に、彼女の不在と悲しみを通して足を踏み入れる「ぼく」。

 

 でも、同時にぼくは知っていた。離さないなんてこと、できるわけがないんだ。ぼくたちは自分たちの場所に帰らないといけない。どんなにぼくたちが繋がっていると思っていても。ぼくたちはいつか手を離さないといけない。

 

 それが、おとなになるっていうことなんだ。

 

 きみの小説をぼくは全部じゃないけど、それなりに長く読んできた読者の一人だ。自分の元いた世界にちゃんと帰ってくる、ということ。でも、そのとき常に帰る先にはそこで待つものがあった。「向こう側」へ行くことと、「戻ること」どちらの方向に傾くにせよ、そこに意味をもたらしてくれる何かがあったように思う。でもこの小説はそうじゃない。何故なら「ぼく」は、この離別を通じて世界の色を失ってしまっているのだから。愛する者の不在を常に後悔と共にひしひしと感じながら生きざるを得ない、ということ。それはなんて苦々しい帰還だろう。

 その苦々しさの味を、もう一度追体験しながら知るとき、ぼくもまた、この「ぼく」と同じように大人になってしまっているのだな、と寂しく感じる。同時に、物語に書き込まれた離別と不在の苦々しさが、この孤独を背負っているのが一人自分だけではないのだと知って、慰められもする。

 その手を離すべきではなかったと、ぼくもまた何度後悔したことだろう。どうにもならなかったな、と一方で思う。そんなどうにもならなさが、物語を通じて共鳴する媒介になるとき、苦い経験もすこしは救われるような気がする。それにこの小説のタイトルは「それでもぼくは雪を見る」ではなく、「それでも私は雪を見る」なのだ。電話ボックスの電話越しに、もう声を直に聴けないとしても同じ空のしたできみも雪を見て、そのひとときを思い出す日もあるのだろうと、想像し、信じること。すこしだけ大人になった菊池の目を想像する。痛ましい、でもこんな愛情の持ち越し方があってもいいんじゃないかと、読了後にそんなことを考えた。

 

 物語を語るきみの声、それはきみ固有のものだ。ぼくはそれをあらためて感じる。ぼくがこの先、どんなにぼくなりに小説や詩を書き続けたところで、ぼくはきみの声を呑み込んで代弁者になれるわけじゃない。その、きみ固有の声に、ぼくは刺激を受け、励まされ、時にはこうして慰められたりもする。この小説を読めてよかったと思う。

 いつか終わるだろう、ときみはむかし言っていた気がする。こんなふうにきみがきみの声を、渾身のちからを傾けて響かせる日を。でも、どうかその日々が一日でもながく終わらないでいてくれることを、ぼくは願っている。ぼくはもっともっと、この先も、ほかの誰でもない、きみの声が聴きたいんだよ。

 

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 じゃあ、またな。

 

 

 

2018/07/29

 物語についてここ数か月とりとめもなく考えることが多い。文学論上のいわゆるナラティブのような話ではない、どちらかと言えば卑近な因果の図式についてだ。いまの苦労がいずれ糧になる、のような。

 科学の法則でもない現実の因果について的確な回答なんて導出できるはずはないのだけど、どうしてか、ひとは奇妙な因果に囚われ、その奇妙な因果を証明するかのような出来事が起こったりする。それもまた偏見というもので、発生しえなかった物語は、目立たないままひっそりとあるがままに事が運んだのだろう。やがて現実という言葉に要約される。

 

 いわゆる地下鉄サリン事件でたまたま遅刻したおかげで事件に巻き込まれなかった逸話のようなものだ。その偶然は、生き延びたひとに何らかの認識をもたらしたかもしれない。自分は運がいい、とか、選ばれている、とか。一方で確かに死んだひともいる。彼らは不運なのだろうか。強運も不運も、ひとしく偏見に過ぎないとぼくは一応はそのように思う。にもかかわらず、ひとは過度に因果を見出すし、ぼくもまたそうした人々のうちのひとりだ。ぼくらは平然と運命という言葉を使う。そうした運命、因果の綾を物語と呼ぶ。日々様々なメディアを通じて消費する。

 

 そういう意味での運命に執着していた時期のじぶんは精神的にも経済的にも非常に危うい状況にあった。経済面にかんしては破滅寸前まで行った、といってもよいだろう。寸前、と書いてしまったのは、意想外な一手によりそれを免れたからだ。それはぼくの意識に何らかの認識をもたらしてしまった。日々分を守って生活するつつましい市民のリアリティには同調できないが、さりとて破滅し、路上生活などを営んでいる人間のリアリティには触れ得ないという程度のものを。破滅体験はひとを一挙に偉大にするのではない。ただストレスから救済され、別な日々の義務が生じただけだ。生きているそれだけだ。

 

 精神面に関してはもうひとつあるのだが、ひとりの、いまは去って帰ってこないひとにまつわる悔恨と再会への待望がそれをもたらした。かつて、どうしてぼくらは再会する筈だと、臆面もなく信じていられたのだろう。そのときぼくは物語を信じていたのだ。愛する者同士は別れてもいずれ巡り会うのだと。

 まいにち彼女のことを考え、詩に彼女の面影を刻もうと試行し、彼女が不在の世界に彼女の痕跡を探した。最後のひとつは完全な徒労だった。でもやめることが出来なかった。小説「失われた時を求めて」に、アルベルチーヌについてだが、二度の死という表現が登場する。一度目は実際に消え、二度目は忘却してしまうことだ。ぼくは絶対に二度目の死は喰いとめなければならない、という強迫観念の最中にあった。それが当時のぼくに可能な彼女への誠実だと思われたから。

 

 けれども或る日、雨だったが、きりきりと張り詰め強迫された精神のまま、労働を終え帰路を歩く道すがら、ふときざした。彼女のなかで、ぼくはとうに死んでいる、と。それもまた単純に、根拠のない、じぶんの限界をそのように他者に責を押し付け表現したに過ぎないものだった。が、そのとき擦過した認識のリアリティは確かで強かった。小説のアルベルチーヌは実際にその肉体が死んだが為に、二度目の死は彼女の記憶を反復する語り手のなかでのみ執り行われるほかないが、ぼくの世界でのアルベルチーヌは、おそらくだが生きており、ただ消息をもはや知ることが出来ない。すなわち行為可能な存在はぼくだけではないのだ。それでも再会はない。あれだけ弓を引くように、強くつよく待望した物語の結末が幾年を経ても到来しないこと。これが答えだった。そして、その結論を得て以来、ぼくのなかでも彼女の二度目の死が進行しつつある。もはやさしたる良心の咎めもなく。

 

 「失われた時を求めて」の語り手はその後、憧れのヴェネチアに赴きそこでジルベルトからの手紙を受け取る。ジルベルトは語り手の初恋の相手だ。でもぼくには赴くヴェネチアはない。ただ、物語が終わり、待望した結末のすべてが砕けて以後も普通の日々が継続し、そうして生きなければならないことをおぼろに学んだだけだ。漫画に出てくる戦闘民族のように、瀕死から復活すれば戦闘力が格段に上昇する、なんて設定があればよかったのだけど。ひと並みに教訓を得て、それよりも遥かにぼくはぼくのままだ。

 

 けれども昨日と今日の境目の時刻に、ふいにジルベルトが戻って来た。ぼくの世界にとってのジルベルトに当たるひとだ。小説のなかのジルベルトは語り手の親友、サン・ルーと結婚することをぼくは知っている。でも、この世界はそんなふうに物語ではないと、すでにぼくは知っていて、知りながら、彼女の消息をふたたび得て再会したとき、性懲りもなく、けれどかつてよりは強く自由意志を駆動して、相も変わらず物語のようにこの先の日々を生きてみたいと願っている。

2018/07/22

 

 先週(7月16日)、の深夜と朝方のあわいの時間で、「リリィ・シュシュのすべて」という映画を観た。監督は「スワロウテイル」の岩井俊二

あらすじからして嫌な映画だろうと予感していた。折しも前日の夕方、共に日高屋でビールを飲みながら、友人の春日さんにこの映画を観るつもりだと言ったら、笑いながら、最悪の映画で週末を潰すつもりなんですね、いいとおもいますよ、と言っていた。

 

 田園の真ん中で、中学生の市原隼人がCDプレイヤーを手に音楽に耳を傾けている画が印象に残る。その風景はこの国で、東京の外の至るところに点在している、彼らにとってはかぎりなく何もない、抜け出したくても抜け出せない土地を象徴している。市原演じる蓮見の、青く鬱屈した表情。あの年代の、まだ他人や世界どころか自分のことさえも不明瞭で、ただひたすら暗いものを抱え込むしかなかった、自覚と無自覚のあいだの漠然とした一時期をあますことなく表現している。

 そしてミクシィを思わせるようなファンサイトでの、特定音楽への、のめり込みが過ぎるほどの自意識と一体となったような書き込みでの、表現への躊躇いのなさも、この年代独自のものかもしれない。すくなくとも現代のSNSで、こうした感情を露出し、共有するのは、難しいような気がする。

 

 万引き、いじめ、強姦、援助交際

 当時の少年問題がここでは数多く取り上げられている。それは陳腐だともいえる。けれどそれもまた、あの映画に近い空気を実際に吸って、そこで呼吸するしか選択肢がなかった人間には、それもまた嫌になるくらいリアリティを感じてしまう(もちろん、そうでないひともいる筈で、それはそれで良いことだと個人的には思う。こんな薄暗く悲惨なものにリアルを感じた思春期に救いようなどないのだし)。

 大人になって観ると、しょーもないのだが、そのしょーもなさが、紛れもなくぼくらのあの時代の正体なのだった。

 

 一方では陳腐きわまりなく、しかし他にどうしようもない映像を、うつくしい音楽や映像技術によって、映画として成立させている。「リアル」も時が経てば記録になる。ここには局所的なリアリティが空気そのものに至るまで封じ込められている。ありがとう、とこの映画を撮ってくれた監督に伝えたい。ぼくらのしょーもない、ひとに明かすのも恥ずかしい一時期を掬いあげてくれて、どうもありがとう。でも、しんどい映画なので、次は数年後にまた観ようとおもいます多分。

 

 ただの灰も時間が経てばうつくしく映る。

2018/07/15

神田で鈴木さんと対面した。

互いに学生時代から知っていたけれど直接会うのははじめてだった。彼はふたつ年下の、やわらかい雰囲気の青年だった。

 

 小説の話を主にした。そのなかで、彼が言うには、世界をただ書くだけでも小説になる筈だと言っていた。世界の脈略のなさこそ驚くべきことだと。そして、「ぼくら」のように名もなきひとが2010年代に、生きていて、いずれは忘れられる、そののち後世のひとたちが読んだとき、過去の特別でない人間がひとり在り、そのように世界を見ていたこと、その感触、カーテンの色彩やスプーンの静けさ、手応え、そうしたものの肌理までをも感じられる、シンプルで力づよい小説が書きたいのだと、しずかに熱弁していた。

 

 右の言葉は、聞いてから一日経過しているので、細部は異なっているかもしれない。しかしおおむねこのような内容だった。

 いい言葉だったので、備忘録的にここに記しておく。

 

 そのほか備忘。ソール・ライター(写真家)。志村貴子放浪息子」における「悪」の無邪気さ(教師が自転車で事故を起こしたことを謝罪しつつ、翌日も乗り続け、だれもそれを咎めずに日常が流れてゆく)。

2018/07/07

 

 三日前の夕方から病で臥せっていた。

 風の流れない台所で半日冷蔵庫にしまい忘れた牛乳を、異臭がしないから、と飲んだのが、いわば食あたりが直接の原因だ。そこに衰弱からか風邪もひいた。しきりに腹痛に襲われ、茶色い水分をないのに絞り出し、頭痛と高熱に耐えるというのは、孤独でしんどい行だと言わねばならない。もっとも、はじめの二日間はほとんど昏倒していたので、意識のあった時間もずっと短い。

 病のいちばんの峠は二日前の晩で、夏日で窓を閉め切り、もちろん冷房もつけてないのに分厚い布団に包まったまま、腰からせり上がる悪寒でがたがた震えが止まらなくなったときはほんとうにつらかった。治りつつあるいまとなっては自分でも大げさに思うが、当時はこのまま死ぬという想像まで頭をよぎった。余談だがぼくは夏でも冬の布団を出したままの人間だ。健康なときならば、冷房の効いた部屋で厚い布団に包まるのが好きなのだ。

 死ぬかもしれない、という時分に、その気持ちを行分けで詩の風に構想した。高い場所から落下して間一髪で助かる夢から目覚めた翌朝に即興で、そのときを思い起こしながら詩を作ったが、ここに掲載するような出来ではない。

 

 それはそうとひとは病で死にうる、というのは当然といえば当然だけど、実際に身に迫られると感慨深いものがある。刹那的な生き方というのは若く、無意識にでも将来の貯金をアテにできるからこそ可能な所業だというのが、おぼろげながら分かってくる。

 死を前に悟りが開けた訳ではない。

 ただ、じぶんが巻き込まれ、どうやら当分逃れることの出来そうにない社会との折り合い方、一方でじぶんより長生きしている人々がいかに社会と折り合って来たかを知ること、そしてより有限性を自覚したうえでの詩や小説との向き合い方を慎重に再考するひつようはあるだろうとおもう。こと社会に関しては内心だけの敵視をしているだけでは、もはや身体精神の両面においてすり潰されるのは時間の問題みたいだ。

 

 生きていると様々な邪念が付着するので、いま澄んだ気持ちでいても生活に追い詰められるうちに余裕がなくなり奇妙なこだわりや情念の偏向がいずれ生じてしまうのは残念だが、なるべく正気を保ったまま、この生を終わりへと持ってゆけたらいい。それにしても病死はそれだけなら非常に魅力的だったが。

 

 病床では村上春樹のインタビュー集を読んでいた。話は地下鉄サリン事件を取材した『アフターダーク』に幾度も及び、当然ながら麻原彰晃の名も頻りに登場した。阪神淡路大震災と並び、旧来の秩序の崩壊を象徴する地下鉄サリン事件、そのグルとして。

 その麻原が死んだ。

 7月6日に、リークによる事実上の事前予告という前代未聞の仕方で、彼をはじめ7名の事件首謀者がいっせいに絞首刑に処せられた。

 

 その日、その翌日と、西側一帯がかつてない雨と洪水に見舞われた、平成最後の夏。

ぼくはようやく微温いポカリスウェットやお粥以外のものを、口にできるまでに回復した。(そういえば今日は七夕だ。いま気づいた)